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神社や寺院によって早生まれの厄年が異なるモヤモヤをさくっと解決(雑学)

このページは、2017年1月18日現在の情報に基づいて掲載しております。
情報の信頼性は、法令の改正や温暖化の進行具合、摂取したコラーゲンの量、ムカデがどの足から歩き出したか等の様々な事象の影響を受け、日々刻々と常に変化しております。

男女ともに、人生には最低でも大厄1回、小厄2回の厄年が計3回あるとされています。
神仏ともに宗派関係なく、この最低限の厄年が設定されており、まさに不思議な国の日本であります。
僕の愛読するWikipediaによれば、地方によっては七五三までをも厄年に加えているところもあるようでして、それでも長い人生で考えれば少ない厄年なのかも知れませんが、この世に生まれて早々に厄除けしなければならないだなんて、それはそれは大変な国の日本ともいえそうです。

そんな僕も大厄の後厄を終える年になりまして、同じく大厄の後厄を終えるうちの人とともにお祝いでもと考えていたわけですが、そんな矢先にふとした疑問に直面することになりました。

早生まれの厄年は、神社や寺院によって異なる

放っておくと、いつものように前置きが長くなるので、今回はさくっと現象を目の当たりにしていただくことにしましょう。
寺院のWebサイトのURLを2つ挙げてみます。

それぞれのWebサイトにある厄年計算ツールで、「1976年(昭和51年)2月3日生まれの男性」を指定してみてください。
そして、モヤッとしてこのページに戻ってきてください。

数え年とは何か?

前項で、成田山では今年が後厄に該当するのに対し、佐野厄除け大師では今年は該当しないという結果になったことと思います。

結論から申し上げますと、早生まれの人のうち、同年1月1日~2月3日(もしくは生年の旧大晦日)の間に生まれた人は、神社や寺院によって厄年が異なります。
なぜこんな現象が起こるのか、その答えは、数え年の性質と日本の暦にあります。

「早生まれ」の対義語は「遅生まれ」という何とも安直な言葉ですべてを言い表せるかどうかはわかりませんが、遅生まれの僕はこれまで「数え年」というものにあまり疑問を抱かずに生きておりました。
一般論としての次のような数え年の数え方を、何の疑問もなく受け入れてきたわけです。

  • 1月1日~誕生日の前日: 満年齢+2

  • 誕生日当日~12月31日: 満年齢+1

そう、うちの人の厄年をいくつかの寺院のWebサイトで調べる前までは。
より正確には、僕の人生史上初めて耳にする「節分を境目にする」というルールをうちの人から聞かされたとき、もっと正確にはうちの人の言葉によってそのようなルールを初めて意識するようになったとき、でしょうか。

そもそも「数え年」とは、生まれたそのときを1歳として、以後、元日を迎えるごとに1歳ずつ加算していくという年齢の数え方をいいます。
元日とは1月1日を指しますが、この1月1日が新暦(グレゴリオ暦)なのか旧暦(天保暦)なのかで、全く別の日になってしまうのです。
旧暦の日付は、本サイトの「そのまま使える暦(KOYOMI)」でも算出することができます。

日本では1872年(明治5年)にグレゴリオ暦を導入していますが、満年齢の導入はその翌年の1873年(明治6年)(全面的な導入は1950年(昭和25年))であり、元日が変わったあとも戦後にまで及ぶ長い期間、数え年が残っていたようです。
この約80年の間、引き続き旧暦で数え年を算出し続ける人もいれば、便宜的に新暦で数え年を算出するようにしようとする人もいたのだろうことは推測するに易いことではありますが、旧暦で算出し続ける人の中には伝統を守りつつも便宜的な運用を考える人もいたようでして、旧正月の代わりに立春に歳を加算するという考え方も登場したようです。

上記に示した数え年の数え方には「1月1日」や「12月31日」が新暦なのか旧暦なのかが示されておりませんが、現代において特に断りなく日付が書かれていることから新暦であると推定することが自然であるといえますから、新暦で数え年を算出するようにしようとした人たちによって考案された算法なのでしょう。
厄除けにおいては上述の成田山をはじめとした多くの神社・寺院にて採用されている算法であろうかと思います。

整理しますと、ひと口に「数え年」といっても、数え方には次の3とおりの方法が存在するということです。

  • 生まれたそのときを1歳として、以後、新暦の元日を迎えるごとに1歳ずつ加算していく。

  • 生まれたそのときを1歳として、以後、旧暦の元日を迎えるごとに1歳ずつ加算していく。

  • 生まれたそのときを1歳として、以後、立春を迎えるごとに1歳ずつ加算していく。

経緯はわかったけれども・・・

ここまでで早生まれ、とりわけ1月1日~2月3日(もしくは生年の旧大晦日)の間に生まれた人の厄年が、神社や寺院によって異なることとそのような事態になった経緯についてご理解いただけたことと思います。
でも、わかったからといって、該当する人にとっては「じゃあどうすればいいんだ!」となって、内心穏やかではないことでしょう。

そうはいっても、本稿を書いている僕にはどうすることもできないお話だったりしますので、その点は申し訳ないことに「さくっと解決」とはいかないわけでありますけれども、少しでも気持ちが軽くなればと思いまして、いくつかの解決策を提案いたします。

解決策1:厄年を先に済ませたいか、先送りしたいかで決める

神社や寺院によって厄年が異なるということは、考えようによってはこれほどラッキーなことはありません。
誰にでも厄年は等しく訪れるものであるならば、厄年の期間そのものが変わることはないはずですから、そうであれば、今年から前厄に入っておくか、いやいや今年は彼女ができたばかりだから前厄に入るなら来年からだとか、そういう選択ができるのですから。

今どき、自分がお参りすべき神社や寺院の縛りなんてなきに等しいわけですから、今年から前厄に入っておくなら立春区切り(または旧暦区切り)の神社・寺院へ、来年に先送りするなら新暦区切りの神社・寺院へ厄除け祈願すればよいのです。

ただし、ここで気をつけておかなければいけないことがあります。
誰にでも厄年は等しく訪れ、厄年の期間そのものは変わることはないということは、厄年の期間の連続性もまた損なわれることはないということです。
つまり、今年から前厄に入ったのなら、年の途中で彼女ができようとも3年間連続して厄年を消化しなければならない一方で、4年後には厄のない年での結婚ができるようになります。
来年に先送りしたのなら、年の途中で彼女と別れた場合には「今年は前厄だったんだな・・・」と思い直して祈願にお参りすることも可能な一方で、幸運にも彼女と続いた場合には5年後までは厄のない年での結婚はできないということになります。

解決策2:1年多く慎重に生活してみる

厄年には、それまでの軽率な行動による悪しき結果が集中する年という意味もあるようです。
これは、軽率な行動を省みつつ慎重な行動を心がける契機であるという考え方です。
(そもそも厄年って迷信のようなものなので、いろんな考え方があって当たり前なんですけどね。)

軽率な行動から生じるトラブルは多い一方で、慎重な行動がトラブルに発展することは滅多にないものです。
慎重に行動する年が1年多くなれば、トラブルに遭遇する機会も比例して減少することになります。

「石橋を叩きすぎると大成しない」という言葉を耳にすることはよくあります。
これは、石橋を叩きすぎる(=慎重すぎる)のはよくないと言っているのであって、だからといって軽率に行動しろとまでは誰も言っておりませんから、慎重に行動しないことを正当化する根拠にはなりません。
「慎重すぎる」というのは期間の大小を論じる尺度ではありませんから、慎重な行動を心がける期間が長いこと自体は「大成に影響しない」のです。なんちゃって。。

解決策3:過ぎたあとに決める

自分の厄年がいつか、先に把握しようと思うから内心穏やかでなくなるわけですから、そもそも先に把握することをやめてしまえばよい、というのがこの解決策です。

具体的には、厄除け祈願には行かずに、悪いことがあったら神社や寺院へお参りするといういつもどおりの生活をしながら、5年後に振り返ってみて「思えばあの3年間が厄年だったなぁ・・・」といった具合に、あとから決めるのです。

ただしこの方法は、厄除け祈願には行かないという選択をするということですから、信心深い方やイベントとして厄除け祈願を楽しみたい方には不向きです。
(共通の2年間だけ厄除け祈願をするという選択肢ももちろんあります。)

そういえば干支って・・・

さてさて、暦法が変わったことによる数え年の混乱、そこから生じる厄年問題を駆け足でご紹介いたしましたが、暦法が変わった影響は何も数え年に限った話ではなく、よく考えたら干支ってどうなの?という疑問に行き当たるものです。
本サイトの「そのまま使える暦(KOYOMI)」に干支を表示する機能を追加いたしましたので、特に早生まれの方にはご自身の旧暦の干支をご確認いただきたいところです。

改暦によって元日が変わったということは、元日を境目とする年の干支にだって影響するわけであります。
干支は様々な占いにも用いられる占いの世界では重要な要素のひとつであり、占いに多少なりとも委ねて生活する人にとっては人生が根底からひっくり返るといっても過言ではないくらいの影響を受けるものではないでしょうか。

それほど重要な要素であるにも関わらず、干支が新暦で切り替わることをいとも簡単に受け入れているんですね。
厄年の数え年の基点にこれほどにまでこだわりを示しているにも関わらず、干支の基点はすんなりと新暦で切り替えることを受け入れる、どこまでも不思議な国の日本だなぁと感じます。

ともあれ、厄年にしても、干支を元にした占いにしても、迷信の域を出ないものでありますから、それぞれがこういうものだと言ってしまえば、信じる人は信じるし、信じない人は信じないし、慎重に生活する人は慎重に生活するし、慎重に生活しない人は慎重に生活しないし、そういうものなのかも知れませんね。

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